ご報告。
セネガル保健省とMOU締結しました。
本来ならパリへのフライト中の時間ですが、延長した甲斐がありました。
西アフリカへのビジネスを目指し、2018年にフランスから日本に進出する形で起業した日本法人。
JICAのアフリカ課題ツアーに採択されたきっかけで面識を持った保健省官僚トップの事務次官。
その彼や保健省の調達部局長へのプレゼンと交渉を間髪入れずに毎月渡航し、3度目のセネガル訪問でようやく署名まで至った。
内容はまだ明かせませんが、我々の製品を地方の保健現場で使っていただくMOUです。
これが第一歩ですがまずは成果を祝いたいとおもいます。
これまで支えてくれていた妻と家族、セネガルの心強いビジネスパートナー、そして日本とフランス、コートジボワールの仲間たち応援してくださる方がた皆さんありがとう。
そしてJICAスタディーでお世話になった皆様や、JETRO、外務省、経産省、大使館の皆様にも都度ご声援を賜り何度力づけてくれたことか。
本当に感謝です。
写真は保健省Mr MBENGUE事務次官と。
パリ登壇終わりました!ホッと一息。
何だかんだと大きな会場でのフランス語でのプレゼンは初めてで、スポットライトが眩しくて参加者の方々の顔が見えず反応を汲み取れなかった事がまずの印象
というのは自分なりにもっと盛り上げたいと考えていたが、おそらく緊張よりもこの相手の反応が分からない事で焦りがでてしまった。持ち時間十五分も二分短く終了。Oh la la.
しかし今回からはプロダクトを見せてのプレゼンだったからか、終わってみたら大きな拍手を頂き、フェリシダシオンと握手。素晴らしいソリューションじゃないかと笑顔。ホッとしたな。
面白い事にセネガルとコートジボワールからやると言い切っているのに、南ア投資庁が停電で困ってるなどの話や、ナイジェリアで売りたいと在仏ナイジェリア人から引き合いがある。
プロダクトがあると即響くんだね。
所感
とにかく、国際ビジネスのスピードが速い事を思い出させてくれる機会だった。
名刺交換を求められた国はまずはコートジボワール、そして上記の南ア、ナイジェリア、エジプト、そしてフランスが一番多く、初めに出した国ほど今すぐ欲しいとの要望。
日本は1社/40社のみ。
明日にでも早速新たな仏人パートナーの力を借りて、これまでやってなかった南アとナイジェリアには既にあるプロダクトの販売を持って連絡を予定。これを持って平行販路としてフランスからのパスでもアフリカを攻めることに。
これは日本に注力した一年だったが、小さいながらもフランスの実績と商流や投資先を選択出来る日仏グループ連携の強みである。
とまぁ、よく考えたらフランス法人はジブチなどとも取引しているので実績がある。またこれまでもアフリカへもパソコンなど売っているのでグループとしてオフグリッドでは無いがアフリカビジネスはとうにしていたのだ。
さて、日本と打って変って慣れない言語(話は仏語、資料は英語)での講演会と、時差と疲れは出ているが、パートナーとレジメのご飯を食べながらのこれからの進め方の議論は楽しい。
あるフランス人弁護士が「失敗する理由がない」と言ってくれているがほんとその通りだと思う。
雇用を生み出すビジネスにならなければぼくはやらない。
反省会と今後のその先の方針も決めたがここでは割愛する。
最後に応援してくれている日本の皆さん、日本法人に、フランス法人のメンバー、そして僕の家族や仲間たち。みんなありがとうね。
多大な収穫のあるフォーラム登壇でした。
JICA横浜 x 横浜市、共催
コートジボワールビジネスワークショップ
アビジャンでお会いしたJICA飯村所長と前JETROアビジャン所長の山田氏というご縁の深いお二人が登壇されたセミナーにうちの広報部長と行ってきた。
日本法人設立前からJICA現地事務所の方々と仲良くなり、現地にいるときにメールを取りたいのに取れなかった通信インフラの弱さを見て、これまで培った仏語圏ビジネスの知見と土臭い経験を生かしてのアフリカ開発に惹かれた。
その経緯からアフリカでビジネスを行うきっかけとしてJICAさんと協議したいと2年前からあちこち歩いてお会いしてきたJICAの皆様。
今日はお仕事したら面白そうだと、思ったJICAやJETROさんの皆様と一同にお会いでき、これまた大好きなMM21に位置するJICA横浜さんの建物というC’est parfait !
昼はこれから中央アフリカに向かわれる方と大手町でお会いし、その方の組織は今日いらっしゃったコートジボワール大使館の参事官はご存知であった。
現地、UNDP、JICA、JETRO、各イベントとその後の飲みニケーション。
繋がるご縁に感謝、繋がったご縁を共に遠くまで進める仲間となれる事を切に願い、愚直にビジョンに向かって進むのみだ。
横浜市民として横浜市とアビジャン市とのパートナーシップを知り、TICAD VIIの横浜での開催。フランス映画祭など縁の深いこれまた港町横浜。
天と地と人とさえ共に進むか我々は。
お誘いを頂き、その天地人のお能を年明け早々見る不可思議なご縁もまたきっと意味があるのだろう。
On a se revoie l’ambassadeur Sénégal au Japon Monsieur CISS, dupuis TICAD Business Dialogue.
Nous avions discute des issues au Sénégal et des opportunités des projets au Senegal.
Ça a était très bonne reunion.
ワールドカップを日本と戦ったセネガル🇸🇳
途上国ビジネスの第一歩として、在京大使との大事な機会だと気を張って向かった在京セネガル大使館。
フランスと日本の経済交流を図る組織で、2017年からフランス法人SUCRECUBE Technologiesの代表の立場で理事を務めています。
年一回のガラパーティはQuai d’Orsayという、歴史ある壮麗な会場で行われたりしています。日本の商工会議所と違い、通常の会議でも基本フランス語で行われ、フランス側からの視点で日本との経済交流を図る取り組みをしているので、非常に学びがある。
今日はUNDP(国連開発機構)主催のアフリカセミナーに参加。8/1に出席したTICAD Business Dialogueでお会いした、カメルーンの特命全権大使 ピエール・ゼンゲ閣下と再会、覚えていてくれた事が嬉しい。
カメルーン共和国は珍しい公用語がフランス語と英語のバイリンガルであり、ゼンゲ大使も「カメルーンはバイリンガル国家」と自己紹介なさっていた。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/カメルーン
2018年8月1日、外務省主催、アフリカ外交団や国連機関の方々を招聘し、JETRO本部で開催されたTICAD VII 準備会合 TICAD BUSINESS DIALOGUEに登壇しました。
来年横浜で開催されるのでTICAD(東京アフリカ会議)へ向け、アフリカの高官や各国大使などの日本政府に対する希望や要請、日本側からも外務省、JETROなどと共に民間企業代表10社がアフリカ側に対して提言し、直接意見交換をする大事な会議。
前半はアフリカ側から熱い想いを胸に、政府として、アフリカ大陸として、アフリカの人々を救うためにこういったことに投資し雇用を生み出してほしい。今日本はアフリカに行かないと乗り遅れるし、アフリカ政府として、国連機関としていつでも相談に乗るという、皆さん国をも超越した超マクロ視点の素晴らしい要望であり、問いかけである。
その彼らの想いは、僕の考えている、現地でビジネスを作り、雇用を生み出し新たな市場を生み出すと同時に、化石燃料に寄らない自立した電力を持って最下層の村から電気を届ける。まさに彼らと想いが合致するものだった。
そのほか、相手は大使かつ国連機関の重鎮にもかかわらず、こちらの日本企業は10社のうち半数上は経営者でない登壇であり、自分のビジネスからの視点とういう自社のサービス紹介という、ミクロ的な話が多く、アフリカと日本の温度差もとても感じる機会にもなった。
我々の登壇では、仏語圏の方々もいらっしゃるので冒頭は「Bonjour Mesdames Messieurs vous allez bien? Et votre famille vont bien ? 」と仏語アフリカ式に開始、その後は英語でプレゼンを続けた。
我々の提言は、アフリカでのビジネスの成功は4つの要素が必要だと訴えた、それはアフリカに対し日本の民間に対し。
それはPESTフレームワーク、Political, Economy, Society and Technology だ。
この中で、PE Tの3つは揃っているが、SのSoceity、社会の理解が足りないと言うこと。それは日本としてPE Tが揃い、ビジネスを進めようとしているが、SはアフリカのSではなくあくまでも日本の常識のSでコトを考えてしまっている。
そうではなく、ビジネスモデルを作るときにこそ、アフリカのSociety を肌身で知り尽くし、そこにPE Tを入れ込む・合わせ込む事により、初めてアフリカの自立を促す現地ビシネスを作れるということを。
駐在や政府高官では、本人の意思と関係なく任期という制度があり、途上国では身(組織)の安全性の意味から、自ら運転せず運転手付きの車で生活が普通で、移動は全てその車。
公共機関や現地の窓全開でボロッボロのタクシーで排気ガスバンバンの目が痛くなる道路の風を受けてのったり、エキサイティングな街を歩きストリートフードを売っているオバちゃんとなんだかんだとしゃべりながら食べたりと本当に楽しいのだが、そんなその国の温度を肌で感じる途上国の生の生活を、身を以て体験することは少なく、またその任期の短さから残念ながら相手国の方々との仲良くなっても人間関係を深めることが難しい現状がある。。
さて、我々の会社は、フランスで日本人と言う外国人が、取得のむずかしい労働許可証を手に入れ決断の上起業し、血の滲むような思いで経営を続けて、怖かった雇用を進め数少ない日本人技術者を自らのネットワークを通じてスタッフとなってもらい、一部の人間には経営も任せていきたい段階になってきている。
失敗は沢山、それは今でもあるけど、失敗は解決すべき課題の1つと取ってしまうので、それはそれであまり苦労とは思わない。
何が苦労かと言うと、外国で外国人としてその国の人と戦いながら生きていくというのは、本当に日本では考えられないくらいの不便や、日本の常識など全く通じないバラエティーに溢れる常識社会で自らのアイデンティティを確立されないとも訳わからん人間に変化してもしまう。
自分のことは自分でなんとかする事は容易いが、関わるスタッフやその家族、かけがえのない若い自体に共に過ごすこの時間の有用性、これからの未来など、付いてきてくれるのは心から有難いが、明日はどうなるか分からないのに明日は必ず来ると信じているだけでは、来なかった明日は「想定外だ」と言う事は僕にその資格はない。
どんな困難な経済状況、それは一個の会社ではなく、日本を思えば2025年には破綻すると言われている社会保障、経済不況や、自然災害、右肩上がりで成長していた時代はもう久しく、停滞すら当たり前、行き場のない最新技術。リスクテーカーは悪、若者も大人も夢見ることを許されない社会。
悲観しているのではなく、ただの現実を述べているだけで、社会の闇はともかく、社会保障が支払う為の赤字国債発行しても銀行や投資家が、買わなくなった日を考えると、日本の貨幣価値はどう変化するのか。
フランスに法人があり日本にも設立した。
アフリカでもビジネスをすすめるが、日本に何かあってはビジネスの根幹が崩れる。
ユーロも何だかんだ言われるが、政変や戦乱がない限り、地震や噴火などの自然災害によるダメージは少ない。アメリカも中国といった経済大国もそうだ。
日本語族として、日本が僕にとってのアイデンティティである事は間違いがいないが、地震リスクを抱えながらかつもし沈みゆく大きな船とした場合、心中する気はサラサラない。
海外経済連盟いう仏法NPOを立ち上げたのもその思考からなのだが、我々のような海外起業組が、日本以外のネットワークで繋がることで日本抜きでもビジネス起こす。日本丸が沈みかけた場合も我々は外貨で生きているので会社も社員の雇用も失わずに生き残ることが出来る。
と同時に我々こそがなんとしても、沈みゆく船を救えるかもしれない。
そんな想いをいつも抱え生きている。
今回のTICADの会議では、その想いや使命感を持ったアフリカの高官の方々と波長が合うというか、とても大事な精神的な触れ合いを感じられた。
会議が終わり、質疑では二つの機関から名指しでこれから関係を続けていきましょうと、仰って頂き、「スピーチ良かったわ、フランス語圏に来てくれるなんて大歓迎よ!」とアフリカの大使自らが名刺交換にきて下さったりと企業としての我々のプロジェクト概要の紹介や提言は大成功だった。
名指し下さった国連組織の方々はニューヨークからいらしたそうで、また話したいとなるとこれでニューヨークに行く縁も出来たと言事ね。
アメリカ東海岸での途上国向けの資金調達の環境も詳しそうだったので近日行ってみるかな。
これかのビジネスのアフリカ拠点として、セネガルに組織を作るとプレゼンした事から、セネガルの大使館の方々を挨拶に来てくれ、在日セネガル大使館筋からと、外務省アフリカ部筋からも新在セネガル大使を紹介いただけるそうで、現地のパートナーと共に環境は固まりつつある。
その際のいくつかの写真を掲載、ダカールはこんな感じの海辺の街です。
nous avons arrive a Dakar pour faire un intervention de travaux de réseau international entre le japon.